涅槃姫みどろ 厄の21(単行本3巻第弐拾四夜)
          「契約」

 今週のみどろさんはなんだかびみょ〜な話でした。
 売れない彫刻家が自らの境遇に絶望し、己の指を壊してしまおうとしたときに、みどろさんは現れます。
 熱心に彫刻家の作品を愛でるみどろさんを、人外のものと感じ取った彫刻家は契約を持ちかけます。
 「名声だ!そのためなら地獄におちてもいい」
 その契約を受諾したのか、みどろさんは「厄いわ」と言い残し、姿を消します。
 その後、契約のおかげか多くの名声を得た彫刻家であったが、老境にさしかかり、病院で家族に囲まれて天寿をまっとうしようとします。
 「悪魔よ私はもう満足したぞ!死んだら魂はくれてやる!なんなりと好きにせい!」
 今週もみどろさんは悪魔呼ばわりですが、覚悟完了した老彫刻家の耳に届いたのは、ただ「厄いわ」の一言。
 この一言から崩壊へのカウントダウンが始まります。
 なんと老彫刻家の代表作である「絶望の女神」(みどろさんをモチーフにしている)が南アフリカの彫刻家ンデベレ氏の作品と酷似していることがニュースで報道されます。
 いや、知らないし、そんな人。
 どうもそのほかの作品も、ンデベレ氏の作品と酷似しているとゆう事らしいので、老彫刻家の名声は一気に地に落ち、家族からなじられつつ絶命するのでした・・・。
 そして、所変わって入滅堂では、みどろさんは老彫刻家の作品を愛でながら「惜しい作家だったわね」とつぶやくのでした。
 

 今週の教訓は、よくわからない内容なのに契約してはいけないよ、とゆうことだと思います。・・・多分。
 とりあえず、老彫刻家にとっては「名声」と「魂」は等価交換だったようですが、みどろさんにとってはそうでもなかったようですね。おそらく、不遇な作家のネガティブなつまり厄い作品を愛していたのではないかと、個人的には思います。 

 ところで、今週気になったのは、みどろさんと出会って約20年ぐらいしか経ってないのになんで彫刻家にひ孫がいるのかってことも気になりますが、それよりも、彫刻家の前に現れたみどろさんと、最後のコマのみどろさんを見比べてみると、あきらかに最後のコマのほうが若返っていることでしょうか?

 このことについていくつか仮説を述べたいと思います。
 ・実は代替わりしていた。
 ・人の不幸を糧に若返る。
 ・作者が書き間違えた。

 作中で、「そのへんの解釈はご自由に」とみどろさん自らいっていたので、お言葉に甘えてジェイソンは第四の仮説「ある日、二つにわかれた。」を採用しようと思います。(わからない人は映画「リング0」をみよう。私もよくわかりませんでした)